ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

人の器の大小とは

社長が、
社員さんのことを
「何かあると、ぶつぶつ文句ばっかり。
 器が小さいやつだ」
って言ってたんです。

器が大きいとか小さいとかって
何で決まるんだろう。

生きてると、
いろんな事が起きる。
良い事もあれば、
悪い事もある。

それらを、
どれくらい受け止めることが出来るかで、
器の大小は決まるんだろうか。

でも、
自分にとって悪い事って、
そんなにいくつも抱える事って出来るかなあ。

1つ1つの出来事を、
真剣に考える人ほど、
いろんなことを 同時に抱えることが、
難しくなるんじゃないかって思う。

それは、
器が小さいことなのかもしれないけど、
反面、
起きた出来事に対して、
真面目に、誠実に対応しようとするから、
精神的にしんどくなってしまうのかもしれない。

逆に、
自分にとって不都合なことが起きるたびに、
不平不満ばかりで、
責任逃れや責任転嫁するような人もいる。
これは、
器の大きさ以前に、
責任感が欠如してるんじゃないかって思う。

たまにいるでしょ。
「〇〇さんが△△したから」
みたいな言い方する人。
それでも、
決めて行動したの自分なんだから、
自分に責任はあるんだって、
どうして思わないんだろう。

こういう言い方って、
年齢は関係ないよね。
ただ、
大人と呼ばれる年齢の人が、
こういう言い方をしているのを聞くと、
「器ちっちゃいなあ」
って思ってしまうな。

私にとっての器って、
自分で考えて、
自分で決めて、
自分で責任を取れるかどうかってことかな。

もちろん、
問題の大きさによっては、
自分で責任を取れないような場合もある。
それでも、
自分に出来る限りの責任を果たそうと出来るかどうかってことが、
器なんじゃないかって、
私個人は思ってます。

そんなこと思ってる私だって、
自分で出来る事なんて、
ほんとたかがしれてて、
責任なんて偉そうなこと、言えたもんじゃないけど、
それでも、
せめて、
他人のせいにはしないってことだけは、
心がけてます。

他人のせいにせず、
自分とは違う『他人』という存在を、
理解や共感は出来なくても、
受け入れることが、
『器』だと、
私は思ってます。