ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

攻撃してくる厄介な相手に出会ったら

何か問題が起きた時、
つい、感情的になってしまう。
私自身も、
腹が立つことが、
ちょくちょくある。

だけど、
そういう感情を、
表現しても、
良い事なんて一つもない。

だって、
周りの人にとって、
私に起きた問題なんて、
しょせん他人事で、
興味も関心も無いのだから。

そう考えると、
すごく寂しいけれど、
実際、そうなんだと思う。

時たま、
とても心優しい人がいて、
他人の気持ちにも寄り添ってくれることが有る。
さらに、
励ましてくれ、助けてくれる人もいる。

でも、
そんな人は、
かなり希少だ。
ほとんどの人は、
他人に対して、
それほど感情を動かさない。

と、
おばちゃんになって、
思えるようになった。

それどころか、
相手の行動に対して、
腹が立ったり、傷ついたとしても、
その事を理解してもらえる事も、
とても難しいと思うようになって来た。

よく、
話すことで、理解してもらえる
なんて言うけれど、
それは違うんじゃないかって思う。

もちろん、
話さなければ、分かってもらえないのは事実だ。
でも、
1度話して、分かってくれなかった相手と、
その後、再び話をして、
理解してもらえるなんて可能性がゼロに近いと思う。

分かってくれる相手と言うのは、
こちらの話の力で理解させたのではなく、
相手側が、
理解しようと言う気持ちがあったから、
理解してもらえたんだと思う。

だから、
最初に理解してくれない相手と言うのは、
要するに、
私の事を、
理解しようと言う気が、
そもそも無いんだということだ。

そういう相手に、
根気強く、自分の気持ちや考えを話したとしても、
どうせ、分かってはもらえないんだったら、
この人とは、
差しさわりの無い会話だけの付き合いと、
割り切って、
時間を使わないのもアリだと思う。

人間の寿命には限りが有る。
限りがある時間を、
理解してもらえない相手に使うより、
理解してくれる相手に使う方が、
きっと楽しいはず。

もちろん、
理解してはくれなくても、
認めてくれる人と言うのも、
とてもありがたい。

人の数だけ、
感情や考えがあるんだから、
理解しようという気持ちがあっても、
どうにも共感できないってことも、
当然ある。
共感は出来ないけど、
そういう人もいるんだと、
そう思える人って、
ほんと素晴らしいって思うんだよね。

だから、
私も、
相手の言葉や行動が、
とてつもなく理不尽だったり、
とてつもなく失礼だったりしても、
「ああ、この人は、こういう事をすると、
 私が嫌な気持ちになるんだと、
 思いもしてないんだろう。
 この人と私は、
 きっと感覚が、ずごく違うんだ。
 だから、仕方ない。
 分かり合う事はあきらめて、
 認めて、受け入れよう」
と思うようにしている。

他人を認められるようになると、
ちょっとやそっとじゃ、
腹なんて立たなくなる。

怒りや悲しみの感情が少ないだけで、
毎日は、
すごく幸せになるもんです。

そして、
幸せな気持ちでいると、
さらに、
負の感情を持ちにくくなる。

実は、
今日、すごく理不尽な扱いをされた。
すごく腹立たしかったけど、
その相手に、
そんな私の気持ちを話しても、
きっと理解してくれないだろう相手だった。

どうやら、
自分は被害者だと言う気持ちを持つことが多いみたいで、
誰かのせいにして責め立ててくる。

こういう相手には、
真正面から向かってはいけない。
攻撃されて、
傷つけられてしまう。

攻撃の届かない距離を保ちながら、
気づかれないように、
離れていくのだ。

そう、
まるで森で熊さんに遭遇した時の様に。