ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

人生の楽しさは、長さとは関係ないのかも

今日も朝から蝉の声がすごい。
我が家の庭先には、
3mくらいの高さに育ってしまった、
柚子の樹があるんだけど、
おそらく、
そこに蝉がいるらしく、
近くに行くと、
びっくりするくらいの大音量で、
音を出している。

蝉は、
成虫になるまでの期間を土の中で過ごして、
成虫になると外に出てくる。
土の中で7年、
外で7日、
と言われているから、
今、音を聞いている蝉たちも、
1週間もすれば、
寿命を迎えてしまうんだな。

人間と比べれば、
短い一生だし、
外の世界は夏の間しか見ないから、
考え方によっては、
ちょっと残念な気もするけど、
それは、
人間の感覚であって、
蝉の気持ちは、
蝉にしかわからないからね。

人間の一生だって、
それぞれ、
長さが違うし、
過ごし方もいろいろなんだから、
同じ人間でも、
感じ方はまったく違うんだよな。

私自身、
50年生きて来て、
いろんなことがあったけれど、
振り返ってみると、
けっこう忘れてしまっているんだよね。

これは私だけなのかもしれないけれど、
ところどころ覚えてはいても、
くっきりはっきりって感じの記憶ではない。

なんか、
こんなに忘れてしまうんだと、
せっかく長く生きても、
意味が無いとさえ思えてしまうよね。

それに、
印象的だったのか、
覚えていることだって、
本当に事実を記憶しているのか、
怪しいもんだ。

人間の記憶って、
自分に都合の良いように、
改ざんするって言うでしょ。

同じ出来事でも、
立場が違うと、
全然違う出来事として記憶してしまっていたりするって言うし、
私の数少ない、
過去の記憶だって、
もしかしたら、
私に都合の良いように、
改ざんされた、
事実とはまったく違う記憶になってしまっているかもしれない。

ただ、
忘れることが出来るから、
生きていくことが出来るんだという考え方もあるよね。

つらい出来事が起きた時、
その記憶が、
何年たっても、
鮮明だったとしたら、
つらさの度合いも、
ずっと強いままになってしまうよね。

つらかった、
悲しかった、
その時は、
強い感情でいっぱいになったとしても、
時間が経つにつれて、
少しずつ、
その感情が薄れていくんだと思う。

そう考えると、
私が、
今までの人生の記憶が、
どんどん抜け落ちてしまっているのも、
全部を抱えて生きていくことが、
私には、
ちょっと大変過ぎるからかもしれない。

ただ、
残念なのは、
楽しかったことや、
嬉しかったことも、
時間が経つと、
印象が薄くなってしまう事かな。

でも、
忘れていくからこそ、
新しく起きた、
楽しい出来事で、
記憶をいっぱいに出来るんだと思えば、
忘れてしまうのも、
そう悪くは無いのかもね。

土から出た蝉の短い時間も、
それに比べれば長い私の一生も、
楽しいという感情は同じなのかもしれない。

だって、
7日間だったら、
起きたすべての出来事を、
忘れる暇が無いからね。