夏に申し込んだ、
樹木葬の区画の墓石が出来上がったと、
連絡をもらった。
そこには、
私の両親と、
私と弟の4人が入る予定になっている。
1番年下なのに、
去年の1月に亡くなった、
弟が、
1番先に入ることになった。
人の寿命と言うのは、
人それぞれで、
年の順番では無いんだな、
と、
弟が亡くなった時に思った。
私と弟は、
3歳差なので、
年老いてしまうと、
ほとんど歳の差は無いものになってしまうのだろうけど、
それでも、
50代になる前に、
弟が亡くなってしまうとは、
思っていなかった。
弟が亡くなった時、
父は、すでに介護施設に入所していたし、
母は、体調を崩して入院していた。
なので、
葬儀も仮装もしたけれど、
両親は、まだ墓を用意していなかったので、
納骨はしていなかった。
父は次男なので、
墓を用意しないといけないのだけど、
母が墓は持たないというので、
私が将来、自分の為に申し込もうとしていた樹木葬に、
両親と私たち兄弟の4人で申し込んだわけです。
日曜日に、
母と一緒に、
納骨に行くのだけど、
ちょっと寂しくなるかもしれない。
無くなってから1年半以上、
ずっと、
弟の部屋にお骨を置いていたので、
まだ、
弟は家にいるような気持ちだった。
でも、
墓石の下に、
お骨を埋めてしまったら、
いよいよ、
家からいなくなってしまう様な気持ちになる。
もちろん、
まだいるような気がするというのは、
私の気持ちではというだけで、
彼の心臓は止まってしまって、
骨以外は焼かれて無くなってしまっている。
骨が残っていると言っても、
喋るわけでも、
歩くわけでもない。
骨だって、
火葬場の高温で、
砕けてしまっている。
それでも、
身体だった部分が残っていると思うと、
そこに、
存在しているような気がしてしまうのは、
私だけなんだろうか。
そう言えば、
キリスト教では、
肉体が復活するという考えから、
火葬はしないらしいし、
ユダヤ教やイスラム教でも土葬が一般的らしい。
一方で、
仏教では、
お釈迦様が火葬されたことを受けて、
火葬するらしい。
日本でも、
仏教の教えが広まるにつれて、
火葬が増えたらしいのだけど、
それ以上に、
衛生面や土葬用の土地の確保などの問題を解決するため、
と言う方が大きいのかもしれない。
日本の火葬率99%以上で、
世界でも割合が高い国らしい。
今までは、
亡くなった人を火葬することに、
特別、何も感じなかったけど、
実際に、
家族が亡くなってみると、
最後に、
あんな高温で焼かれてしまうんだと、
なんだかひどいことをしているような気持ちになった。
やっぱりね、
動かなくなったとしても、
人は人として認識してしまうんだろうな。
そして、
ずっと家に置いていた骨が、
今度は、
家を離れて土の下に移動する。
暑すぎる夏、
寒すぎる冬、
そんな厳しい気候の中、
暮らしていた家から、
屋外に移動することに、
また、
ひどいことをしている気持ちになりそうだ。
復活や輪廻転生、
そういう、
亡くなっても終わりではないという、
宗教の考え方、
そう思う事で、
亡くなっていなくなった人の事を、
受け入れる事が出来るのだろう。
忘れてしまうのでなくて、
喪失感を無くす、
そういう作業なのかもしれないな。