ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

実は17年前から昭和の日だったんだって

4月29日。
今は、
『昭和の日』と呼ばれる祝日。

でも、
たしか、
この日って、
みどりの日』じゃなかったかな
って思ったら、
今は、
5月4日が『みどりの日』なんだって。

いやあ、
いけないことだけど、
カレンダーを見て、
休みだとは分かっていても、
その日が、
どうして休みなのかってことを、
知らないんだよね。

調べてみたら、
2007年から『昭和の日』なんだって。

えっ。
17年も『昭和の日』だったのか。
ということは、
5月4日が『国民の休日』から『みどりの日』になってからも
17年経ってたって事。

国民の祝日に関する法律」の改正で
「『国民の祝日』に挟まれた平日は休日になる」っていうことで、
お休みになったのは知っていたけれど、
それが、
ちゃんと祝日になってたんだね。

でも、
昭和生まれの私にとっては、
4月29日は、
やっぱり
天皇誕生日』ってイメージが強いなあ。

昭和は64年も続いて、
私は、
48年生まれで、
昭和から平成になった時は、
中学3年生だった。
義務教育の終了とともに、
昭和も終わった。

で、
平成に変わったんだけど、
変わってからしばらくは、
自分の年齢を計算するのが難しかったなあ。

今までなら、
今年は昭和〇年だから、
〇ー48=年齢
って計算できたけど、
平成だと、
平成〇年だったら、
〇+63-48=年齢
って、
いちいち考えないといけない。

学生の頃なら、
まだ、高校3年生なら18歳
みたいな感じで、
間違うことも少なかったけど、
卒業して、
働き出してからは、
病院の問診とかで、
手間取ったり、
下手すると、年齢を間違ったりもしたことある。

この年齢の間違い、
年上に間違うのなら、
まだ良いけど、
逆に、
年下に間違うと、
サバを読んだみたいで、
すごく恥ずかしかったもんです。

さらに、
令和に変わって、
いったい、
どうやって計算すれば良いのか、
考えるのも面倒。

それどころか、
最近は、
今年は、
いったい
令和何年なのかってことすら、
分からなくなってる。

実際、
今年に入って、
3回かな。
令和5年って間違って記入したことがあります。

いやあ、
もうねえ、
今が何年なのか、
意識せずに生きてるって証拠なんだろうなあ。

そうそう、
平成から令和になった時、
当然のことなんだろうけど、
天皇誕生日という祝日も変更されましたよね。

平成も31年と長かったので、
12月23日が天皇誕生日でお休み
というのも、
すっかり定着しましたよね。

クリスマス前の祝日は、
前倒しして、
クリスマスを家族と過ごす
という大人が多かったんじゃないかな。

日本は、
クリスマスを盛大に楽しむ割に、
休日ではないから、
子どもさんがいるお家とかだと、
クリスマスが、
ちょうど土日にあたればよいけれど、
そうでない時には、
その前の祝日はありがたかったんじゃないかなあ。

でも、
その祝日が、
令和になって、
平日に戻ってしまった。

と同時に、
2月23日が天皇誕生日になったんだけど、
この日、
まだ、
私の中では、
定着してないんですよね。

カレンダーの赤字を見て、
「ん?
なんで休みなんだ」
って、
いまだに思ってしまいます。

最近は、
祝日を土日につなげるように変わったから、
祝日の日にちが、
変動してしまうので、
余計に祝日の認識が甘くなってしまう。

私なんかは、
成人の日は1月15日、
敬老の日は9月15日、
体育の日は10月の10日、
っていまだに思ってますからね。

いや、
そうそう、
今は体育の日ではないんですよね。
スポーツの日か。

こういう祝日も、
意味や成り立ちをしっかり学ぶと
おもしろいのかもしれない。

まあ、
理由はともあれ、
お休みできることはありがたい。

まあ、
今回のGWは、
ちまたで最長と言われている、
10連休なんだけど、
今年は、
お出かけはしないので、
少し、時間を持て余しそう。

そう思って、
本屋さんに行って、
面白そうな本を何冊か買ってきた。

休みに、
時間を気にせず、
本を読むなんて、
私にとっては、
とんでもなく楽しい過ごし方だなあ。

あと、
引き出しの中に突っ込んだままになっている、
昔々の書類たち。

大事な書類も、
ある程度の年数が経てば、
処分しても良いらしい。

まずは、
給与明細。
保管するのは、
5年くらいで良いみたいだし、
年金や保険の納付状況は、
最近は、
お知らせが届くので、
今のところ、
未納時期は無いので、
古いものは処分することにしました。

朝から、
せっせとシュレッダーで刻みました。

あとは、
古い通帳。
すでに解約した口座のモノも含めて、
何冊かあるんだけど、
これも、
処分しても問題は無いらしい。

これも、
せっせとシュレッダーで刻もうかな。

とにかく、
いろんなものがあるせいで、
肝心なモノが見当たらなくなって、
困ってしまうから、
今年こそ、
そういう事態を改善しよう。

せっかく、
長めのお休みだから、
身の回りを片付けて、
コンパクトにしよう。

生活するのに必要なモノって、
ほんと、
少ないんだなあって、
おばちゃんになると分かります。

母が家に帰ってきました これでテレビ見放題だね

昨日、
母が家に帰ってきた。

帰ってくるまでは、
正直、
大丈夫なのか、
まだ早いんじゃないかって、
大賛成という訳では無かった。
と言うのも、
やっぱり、
歩くことが、
まだよっこいしょよっこいしょって感じで、
一人で家にいて、
生活なんかできないんじゃないかって、
気しかしなかった。

我が家は、
小さめの家で、
部屋や廊下も狭いから、
歩くのがおぼつかない母は、
壁や手すりを頼りに歩くしかない。

退所を前に、
手すりを何か所かつけてもらったけれど、
それでも、
何かのはずみで、
転ぶかもしれないでしょ。

その時に、
足腰に不安があると、
起き上がることも出来ないんじゃないか。
もしも、
打ち所が悪かったりしたら、
と、
どんどん悪い方向に想像してしまう。

広い家なら、
歩行器や車いすも使えるんだろうけど、
間取り的に、
車いすなんか置いたら、
それだけで、
いっぱいになってしまって、
身動きできなくなってしまう。

そうは言っても、
ずっと、
家に帰れるようにと、
リハビリを頑張ってきた母に、
いつまでも、
帰って来るなという訳にもいかない。

あとは、
母の頑張りに賭けるしかないと、
退所を承諾して、
いよいよ退所。
施設の方で送り届けてくれるというので、
母の到着を待っていた。

介護士さんに送り届けてもらった母の
第一声は、
「ただいま」
でした。

そうなんだよなあ。
ただいまなんだよなあ。

当たり前だけど、
なんか、
ドキッとさせられた。

2年半、
家から出て生活していた母にとって、
ようやく家に帰ってきたことは、
どんな感じなんだろうなあ。

介護士さんが帰って、
実際に、
ベッドの周りを歩いているのを見た感じでは、
まだまだ、
すたすたという訳にはいかないけれど、
それでも、
思っていたよりも、歩けている。
ゆっくりゆっくり歩けば、
けっこう大丈夫そうな感じ。

実際、
一人で、
トイレにも2回行けたらしいし、
施設から持ち帰った荷物を、
ベッドに座って、
少しずつ片付けている様子を見ても、
これは大丈夫かもと安心した。

ベッドに落ち着いた母がまず言ったのが、
「テレビ付けて」だった。
そうかあ。
施設では、
食道にテレビが置いてあるんだけど、
4人部屋のベッド周りには、
テレビは無かったなあ。

自分の見たい番組を、
自分の見たいときに見られる。
そういうのも、
施設のような団体生活の場所では、
出来ないんだよなあ。

私自身、
歳をとって、
自分自身の身の回りのことをするのが難しくなったら、
老人ホームに入所したい
って思っているんだけど、
でも、
団体生活になると、
自由って、
けっこう奪われてしまうのかもしれないなあ。

自由か安心か、
難しい二択だよなあ。

今でも、
一人でいると、
寂しかったり、
体調が悪い時や、
何か障害が起きた時に、
すごく心細かったりする。
でも、
その反面、
自分ですべてを決めることが出来る自由さがある。

そばに誰かが居てくれると、
安心だったり、
心強かったりするけれど、
ある程度は、
周りに合わせて過ごさなくてはいけない。

そのどちらを選ぶのか。

今までは、
年老いた時は、
自由をあきらめて、
安心を選ぼうと思っていたけれど、
家に帰ってきた母の姿を見ていると、
私は、
自由をあきらめることが出来ないかもしれないな
とも思う。

家に帰ってきた母は、
これから、
週3回のデイサービスと
週2回のヘルパーさんの介助、
そして、
週1回の往診で、
平日の5日間、
見守ってもらいながら、
以前のような、
自由な生活を送っていく。

母の姿は、
未来の私の姿だ。

だから、
母が楽しそうだと、
私の未来も期待できるってわけ。

さて、
どうなりますやら。

気が重い時間から逃げ出す方法は何なのか

GWの連休が始まる。
今年は、
私の周りの人たちが、
いろいろと生活が変化する年で、
それにともなって、
私自身も、
多少、
生活リズムが変わりそうだ。

母が、
ようやく施設から家に帰ってくることも、
その一つだ。

振り返ってみると、
母が病院に運ばれたのは、
3年前の8月。

運ばれた日は、
呼吸も出来ないくらいの重症で、
集中治療室で、
人工呼吸器の管につながれていた。

その後、
2か月余り、
総合病院に入院していた。

その頃は、
まだコロナウイルス感染防止対策のために、
面会は、
基本的に禁止されていて、
私は、
母にまったく合っていない状況だった。

その後、
規模の小さい病院に転院して、
そこで、
結局、1年半ちかく入院生活をしていた。

その時も、
面会は出来なかった。

体調を崩したことに加え、
いつ退院できるか分からない入院生活で、
最初の頃は、
「家に帰れないなら、死にたい」
なんてことを口走るほど、
精神的にしんどい時期を過ごした。

さらに、
環境の変化や、
精神的につらい状況のせいで、
認知症の症状も出ていた。

いったい、
この先、
母はどうなってしまうのか。

そんな不安のある時期だった。

その入院生活も終わり、
次は、
昨日までお世話になった介護施設に入所した。

ここで、
ようやく、
母に面会することが出来た。

車いすに乗って、
ずいぶん痩せて、
白髪になった母は、
私に会うと、
「ごめんね」
と泣きながら謝っていた。

迷惑をかけた
という意味だったみたいだけど、
そういう気持ちを持つなんて、
長い入院生活と言うのは、
すごくしんどいんだな
と、
少しだけど、想像することが出来た。

その段階で、
母は、
まだ自力では立ち上がることが出来ず、
このまま、
歩くことは出来なくなるかもしれない
と思っていた。

歩けないとなると、
家に帰ることはむずかしいだろうな
とも思った。

最初の頃は、
月に1回の面会も、
申し訳ないという感じばかりだったのだけれど、
その後のリハビリで、
立ち上がったり、
歩いたり
ということが、
少しずつ出来るようになってくると、
その様子も変わってきた。

「次に来るときは、○○を持ってきて」
「家の様子はどうなの?」
「早く家に帰りたい」
そんな感じで、
以前のような、
しっかりした母に戻っていった。

やはり、
病院とは違って、
ある程度、
自由に過ごせることと、
リハビリの成果が出て来たことで、
気持ちが前向きになれたのかもしれない。

この頃には、
認知症の兆候もまったくなくなって、
話す内容も、
しっかりしたものになっていた。

『病は気から』
まさに、こういうことなんだろうな。

病気や怪我で、
不自由な生活になったとしても、
それでも、
気持ちを奮い立たせて、
前向きに生きていけるかどうか。

それが出来るかどうかで、
その後の生活は、
大きく変わるんだと思った。

もちろん、
前向きになったからと言って、
母は、
今も、歩くのには、まだまだ大きく不安があるし、
体調も、
万全になったわけではない。

ないけれど、
それでも、
母が、
現状を楽しく過ごせていれば、
それは、
回復したと言えるんじゃないかな。

身近な人の死や、
母の入院を経て、
自由に生活できるということが、
けっして、
当たり前ではないんだと思い知った。

私も、
もう少し歳をとったら、
自力で、
歩き回ることが出来なくなるかもしれない。

そうなってから、
あれがしたかった
これがしたかった
と後悔しない様に、
したいことは、
後回しにしない。

そして、
したくないこと、
しなくても良いこと、
それは、
極力 省いていきたいなとも思う。

自分の寿命なんて、
分かりやしない。
いつ終わるのか分からない、
自由で楽しい時間が、
突然、終わってしまうかもしれない。

気が重い時間なんて、
過ごしたくない。

職場で、
正直、
すごく気が重い時間を過ごしている。
逃げ出してしまいたいけど、
でも、
現実的には、
お金を稼がないと、
残りの楽しい時間が過ごせなくなってしまう。

だから、
少しでも早く、
気が重い時間から逃げ出せるように、
工夫しないと。

向いてない仕事なら 辞めてしまうしかないのか

わが社の今年のGWは、
4月27日土曜日から、
5月6日月曜日まで、
10日間お休み。

ということで、
今月は、今日で仕事納め。

そんなウキウキするはずの金曜日なのに、
私の心はずど~んと重い感じ。

と言うのも、
社長から、
「お前の采配、本当に最低だな。
 簡単な仕事ばかりしてて、
 頭が腐ってるんじゃないか。
 辞めてしまえよ」
と言われたんです。

私の会社は、
社長と私、
そして、もう一人の社員さんの3人体制なんだけど、
社長にとって、
私ともう一人の社員は、
だらだら仕事をして、
難しい仕事は社長に押し付けて、
無能な社員なんです。

だから、
ことあるごとに、
「なんで、そんな仕事ぶりなのかな」
って、
腹を立てている。

で、
その社員さんの業務予定を、
私が立てているんだけど、
その予定が、
社長からすると、
どうも的外れみたいで、
さらに腹が立つみたい。

正直、
そんなに気に入らないのなら、
自分の思い通りにするば良い
って思うんだけど、
「あなたたちの事は、
 あなたたちで勝手にやれば良い」
って感じで、
文句は言うけど、
手は出さないって感じ。

ただ、
正直いうと、
社員さんが、
自主性が無くて、
難しい仕事に対してはセンスが無い
って言うのなら、
そこを改善するように、
指導するべきだし、
指導しても、改善しないって言うのなら、
それでも、
社員さんが仕事が出来るような環境にする方が良いと
私は思っている。

社長は、
文句は言うけれど、
社員さんに対しては、
前社長から、
「そうは言っても、いてもらった方が良い。
 辞めさせないほうが良い」
と言われているんだから、
辞めさせるわけにもいかない。

し、
今どきは、
業務に明らかに損害を与えない場合は、
そう簡単には、
辞めさせたりは出来ないしね。

とにかく、
社長は、
私たちに対して、
不満しか無いみたい。

仕事が出来る人と言うのは、
こういうものなのかもしれないけど、
無能な社員に対して、
怠け者で、
大した成果も出せなくて、
自分ばかりがしんどい思いをしていると思うから、
「辞めてしまえ」
という気持ちがあるんだよな。

私なんかは、
「パートさんがしていた仕事をしているだけ。
パートの視点でしか会社を見ていない。
向いてない。
自分が正しいと思うことの正反対のことをしろよ。
それが、正解なんだよ。
全部、間違ってるんだよ」
と散々な言われよう。

そして、
今回は、
最後に、
「うちの(奥さん)に来てもらうから、
 もう辞めてしまえよ」
と言い渡されました。

もう、
ここまで言われると、
決心が付くよね。

とは言え、
今すぐ、
仕事を辞めるわけにはいかない。

この年齢で、
すぐに安定した収入を得られる仕事は見つからない。

だから、
パート扱いにしてもらおうと思う。
そして、
今まで通りの仕事を続けさせてもらおう。

お給料は下がるけど、
それでも、
今まで通りの勤務時間なら
20万円くらいはもらえるはず。

それで、
社員がすべき、
難しい仕事とやらは、
社長の奥さんにしてもらえばよい。

仕事が生きがい
っていうのは、
とても素晴らしいけれど、
私は、
今の職場で、
いったい、
何を目指して、
上に向かって行けばよいのか。

社長が、
何を求めているのか。
それを察することは出来ない。

勇気を出して、
聞いても、
「はあ?
 本当に分からないの。
 本当に向いてないな」
と言われるだけで、
具体的な指示はもらえない。

きっと、
本当に向いてないんだよ。

だったら、
今している、
社長曰く、
簡単で、
頭が腐ってしまう業務だけど、
パートとして勤めようと思う。

社長は、
あと何年、
会社にいるのか分からないけど、
節約して、
少しでもお金を貯めて、
早く、
会社を辞められるように、
努力しよう。

枯れた子もいるけど、花を咲かせた子もいる我が家

我が家には、
母が育てていた植物が、
あちこちにあるんですが、
一昨々年の夏に、
母が体調を崩して、
入院生活を始めて以来、
正直、
ほとんどお世話をしていない状態。

私は、
植物のお世話に、
まったく興味が無くて、
水やりも、
いったい、
どのくらいすれば良いのか、
さっぱり分からない。

で、
どうしようと思って、
鉢植えたちを、
屋根の無い場所に移動して、
自然のお天気任せにすることに。

ようするに、
晴れの日は、太陽の光をしっかり浴びて、
雨の日は、雨水を受けて、
って感じ、
森や山の植物は、
人の手が入っていない場所でも、
植物は育っているんだから、
お天気任せにしておいても、
育つ子は育つんじゃないか
という、
なんともざっぱなお世話の仕方。

ただ、
家の脇に植わっているゆずの樹は、
どんどん伸びて、
前の道まで侵食してきたので、
その部分は、
剪定ばさみで、
ざくざくとカットした。

本当は、
枝ぶりを確認しながら、
育ちやすいように、
枝をカットしないといけないんだろうけど、
そんなことをしなくても、
この子なら、
今年の夏も、
元気で伸びるに違いない
と、
何の根拠も無い自信で、
とにかく、
道部分に飛び出ない様に、
枝をカットしました。

そんなこんなで、
ふと、
我が家の花壇を見たら、
いつの間にか、
紫の花が大量に咲いてた。



冬の間は、
ただ緑色の葉が生い茂っているだけだったのに。

調べてみたら
シランという里山の土手や崖に生えるお花らしい。

こぼれ種で増えることもあるらしいけど、
花壇一面に咲いてて、
去年の春も咲いてたかなあ
って、
正直、
記憶が無い。

全然お世話をしていなくても、
こんなにいっぱい花を咲かせてくれるなんて。

やっぱり、
植物って、
力があるよなあ。

他にも、
鉢植えに、
母がいろんな植物を植えてるんだけど、
1つは、
結局枯らしてしまった。


もともとは緑の葉だったのに。
申し訳ない。
申し訳ないとは思うけれど、
この連休に、
鉢から抜いて、
処分しようと思ってる。

すっかり気温も上がって、
これから、
世界は、
緑色が濃い季節になりますね。

私は、
花いっぱいの風景も好きだけど、
緑の葉がまぶしい感じの風景も好きだなあ。

私の家の周りは、
田んぼが多いので、
GWを過ぎると、
田植えが始まって、
一気に緑色の風景に変わります。

夏の厚い時期は、
一面に広がる田んぼの稲が、
まるで草原のような感じに見える。

災害や戦争など、
世界は、
あっという間に壊されてしまうけど、
植物の生命力の強さって、
勇気をももらえるよね。

最後に生き残るのは、
植物なんじゃないかなあ。
そんな気さえする。

まだ、
あんまり興味は少ないんだけど、
一つ空いてしまう鉢に、
お世話が出来なくても、
元気に育ってくれる植物を植えてみようかな。

緑の葉を、
眺めて、元気をもらいたいしね。

台湾でまた地震が起きた

台湾で、
また地震が起きました。
津波の心配はないらしいけれど、
大きな揺れは、
建物などを倒したりするから、
心配だ。

私の会社では、
台湾から部品などを仕入れているので、
災害が起きれば、
業務面でも、影響が出る。
仕事より命だろと言われそうだけど、
そういう意味でも心配なのは
本音だ。

日本でも、
あちこちで地震が起きていて、
この間、
四国で起きた地震は、
南海トラフ地震の前触れではないか
と、
日本中が心配したはず。

日本は、
地震が多いと言われているけれど、
そんなことよりも、
ずっと、
いつか起きると言われ続けている南海トラフ地震は、
本当に起きるのか。
起きるのはいつなのか。
言われている様に、
西日本を中心に、
壊滅状態になるほど、巨大なのか。
そういうことが心配だ。

そんなことを思っていたら、
近所で、
道路工事をしているからか、
その振動が、
朝から、
ドンドンドンドンと伝わってきて、
築50年近い我が家を揺らしていた。

もうねえ、
我が家は、
近くを大型トラックが走っただけで、
揺れるからね。

能登地震の時の映像でも、
何度も見たけれど、
普段、
当たり前のように寝起きしている家が、
大きな地震で、
あっけなく倒れたり、
崩れたりするんだよね。

当たり前だけど、
普段、
寄りかかったり、
階段の上り下りをしたり、
あちこちに家財道具を置いたりしても、
びくともしないのに、
地震が起きたら、
あっけなく崩れ落ちる。

そういう、
自然の大きすぎる破壊力を目の当たりにすると、
どんなに準備をしたって、
勝ち目はないな
って、
あきらめムードになってしまう。

東日本大震災の時の、
街中のものを押し流していく津波の力も、
正直、
こんなの無理だろって気持ちにさせられたもんなあ。

人間は、
普段 偉そうに、
地球の中で、
好き放題して暮らしているけど、
災害が起きれば、
本当に非力なんだって思い知らされる。

巨大地震がいつか起きると、
怯えているくせに、
一方で、
人間同士で争って、
傷つけ合って、
命を奪い合っている。

こんなに大きな脳みそがあるのに、
平和に、
お互いを認め合って生きて行くことも出来ない。

地球に人間が誕生した事は、
間違いだったんじゃないかな。
自分も含めて、
人間はろくなことをしない。

他の生き物に、
迷惑ばかり掛けてきた。

いい加減にしないと、
地球には住めなくなるよ。

はあ。
いやだね、人間って。

我が家に届いた自治会のお知らせの宛名が違っていた話

昨日の夜、
家に帰ったら、
郵便受けに、
「27日朝の溝掃除は中止になりました」
という紙が入っていた。
差出人は、自治会の班長さんのお名前だったんだけど、
宛名がね、
私とはまったく違う名前だった。
しかも、
一文字も被ってない、
全然違う名前。

う~ん。
これって、
私の名前を間違っているのか、
他の人のモノと入れ替わっているのか、
そこんところが分からない。

と言うのも、
その宛名に聞き覚えが無いんだよなあ。

でも、
近所とは言え、
すべてのお家を知っているわけではないからなあ。
もしかすると、
私宛のモノが、
他のお家の郵便受けに入っているのかもしれない。

私の苗字は、
少し珍しくて、
そのせいか、
間違われることも、
たまにある。

人間の脳って、
自分の知識や記憶とは違うモノだと、
勝手に変換しちゃうのかもしれないね。

これは、
珍しい苗字の人なら
あるあるだと思う。

見間違いとか、
聞き間違いとかではなく、
「そんなはずはない」
って感じで、
勝手に脳内で、
よくある苗字に変換しちゃうんだろうなあ。

私自身、
自分の苗字が珍しいんだと自覚しているので、
間違われても、
別に気にもしない。
ああ、またかあって感じ。

仕事でも、
取引先の相手から、
呼び間違われたり、
書き間違われることもあるけど、
わざわざ、
「違います。○○です」
と訂正したりもしない。

もちろん、
証明書とか申請書とか、
そういう間違いは許されない
って場面なら、
自分の苗字を認識してもらうまで、
何度でも言うけど、
仕事上ならねえ、
会社名とか連絡先が合ってれば、
私の苗字が少しくらい間違ってても、
いちいち指摘するほどの事でもないでしょ。

特に、
電話とかだと、
言い直しても、
「はい?」
みたいな感じで、
聞き取ってもらうのにも手間取ったりして、
時間かかったりするから、
そういうことを経験すると、
指摘することをあきらめてしまう。

だからかな。
何度も何度も、
私の名前を書き間違えて、
メールを送ってくる取引先の人も多い。

もちろん、
私の方は、
自分の名前を、
きちんと書いて、
返信するんだけど、
けっこう、
相手の名前って、
見ない人が多いんだなって、
間違われるたびに思う。

そうそう、
不思議なんだけど、
私の名前を、
間違える人にかぎって、
自分の名前を間違われると、
「違います。○○です」
って、
すぐ訂正してくるんだよね。

だから、
決して、
名前に対して、
意識が低いわけではなく、
相手の名前に対しては、
あまり興味が無いんだろうなって思う。

でも、
訂正している言葉を聞きながら、
いやいや、
あなたの方も、
私の名前、
ずっと間違って呼んでますけど、
って、
心の中で、
突っ込みを入れております。

珍しい苗字だから、
間違われても仕方ないとは思う。
思うけど、
ずっと違う名前で呼び続けられるのは、
ちょっと寂しいよね。
だからね、
私は、
出来るだけ、
相手の名前を間違わない様に、
気を付けるようにしている。

さらに言うと、
出来るだけ、
会社の名前ではなく、
担当の方のお名前で呼ぶようにしている。

やっぱり、
自分の名前を、
きちんと呼んでくれると、
私なら嬉しいなって思うから。

ただ、
最近は、
個人情報の問題もあって、
あまり、
個人の名前を、
名指しで呼ぶと、
嫌がる人もいるかもしれないけどね。

まあ、
何はともあれ、
GW前の、
溝掃除が中止になったのは、
いったいどんな理由なのかは分からないけれど、
1軒1軒、
お知らせを配ってくれた、
班長さんに感謝しなければ。

面倒だよね。
いちいち知らせるの。
そりゃあ、
宛名ぐらい、間違っちゃうよ。

ネット全盛の今どきなんだから、
自治会のお知らせも、
専用の掲示板とかで見られるようにしちゃえば良いのに。

いや、
ネットが苦手な世代も多いから、
それは、
ちょっと難しいのかな。

さて、
GW 自治会の皆さんと交流できるかと思ってたけど、
今回は見送りになったなあ。
まあ、
他人との交流が苦手なんで、
正直、ほっとしてるんだけどね。