昨日、
母が家に帰ってきた。
帰ってくるまでは、
正直、
大丈夫なのか、
まだ早いんじゃないかって、
大賛成という訳では無かった。
と言うのも、
やっぱり、
歩くことが、
まだよっこいしょよっこいしょって感じで、
一人で家にいて、
生活なんかできないんじゃないかって、
気しかしなかった。
我が家は、
小さめの家で、
部屋や廊下も狭いから、
歩くのがおぼつかない母は、
壁や手すりを頼りに歩くしかない。
退所を前に、
手すりを何か所かつけてもらったけれど、
それでも、
何かのはずみで、
転ぶかもしれないでしょ。
その時に、
足腰に不安があると、
起き上がることも出来ないんじゃないか。
もしも、
打ち所が悪かったりしたら、
と、
どんどん悪い方向に想像してしまう。
広い家なら、
歩行器や車いすも使えるんだろうけど、
間取り的に、
車いすなんか置いたら、
それだけで、
いっぱいになってしまって、
身動きできなくなってしまう。
そうは言っても、
ずっと、
家に帰れるようにと、
リハビリを頑張ってきた母に、
いつまでも、
帰って来るなという訳にもいかない。
あとは、
母の頑張りに賭けるしかないと、
退所を承諾して、
いよいよ退所。
施設の方で送り届けてくれるというので、
母の到着を待っていた。
介護士さんに送り届けてもらった母の
第一声は、
「ただいま」
でした。
そうなんだよなあ。
ただいまなんだよなあ。
当たり前だけど、
なんか、
ドキッとさせられた。
2年半、
家から出て生活していた母にとって、
ようやく家に帰ってきたことは、
どんな感じなんだろうなあ。
介護士さんが帰って、
実際に、
ベッドの周りを歩いているのを見た感じでは、
まだまだ、
すたすたという訳にはいかないけれど、
それでも、
思っていたよりも、歩けている。
ゆっくりゆっくり歩けば、
けっこう大丈夫そうな感じ。
実際、
一人で、
トイレにも2回行けたらしいし、
施設から持ち帰った荷物を、
ベッドに座って、
少しずつ片付けている様子を見ても、
これは大丈夫かもと安心した。
ベッドに落ち着いた母がまず言ったのが、
「テレビ付けて」だった。
そうかあ。
施設では、
食道にテレビが置いてあるんだけど、
4人部屋のベッド周りには、
テレビは無かったなあ。
自分の見たい番組を、
自分の見たいときに見られる。
そういうのも、
施設のような団体生活の場所では、
出来ないんだよなあ。
私自身、
歳をとって、
自分自身の身の回りのことをするのが難しくなったら、
老人ホームに入所したい
って思っているんだけど、
でも、
団体生活になると、
自由って、
けっこう奪われてしまうのかもしれないなあ。
自由か安心か、
難しい二択だよなあ。
今でも、
一人でいると、
寂しかったり、
体調が悪い時や、
何か障害が起きた時に、
すごく心細かったりする。
でも、
その反面、
自分ですべてを決めることが出来る自由さがある。
そばに誰かが居てくれると、
安心だったり、
心強かったりするけれど、
ある程度は、
周りに合わせて過ごさなくてはいけない。
そのどちらを選ぶのか。
今までは、
年老いた時は、
自由をあきらめて、
安心を選ぼうと思っていたけれど、
家に帰ってきた母の姿を見ていると、
私は、
自由をあきらめることが出来ないかもしれないな
とも思う。
家に帰ってきた母は、
これから、
週3回のデイサービスと
週2回のヘルパーさんの介助、
そして、
週1回の往診で、
平日の5日間、
見守ってもらいながら、
以前のような、
自由な生活を送っていく。
母の姿は、
未来の私の姿だ。
だから、
母が楽しそうだと、
私の未来も期待できるってわけ。
さて、
どうなりますやら。