GWの連休が始まる。
今年は、
私の周りの人たちが、
いろいろと生活が変化する年で、
それにともなって、
私自身も、
多少、
生活リズムが変わりそうだ。
母が、
ようやく施設から家に帰ってくることも、
その一つだ。
振り返ってみると、
母が病院に運ばれたのは、
3年前の8月。
運ばれた日は、
呼吸も出来ないくらいの重症で、
集中治療室で、
人工呼吸器の管につながれていた。
その後、
2か月余り、
総合病院に入院していた。
その頃は、
まだコロナウイルス感染防止対策のために、
面会は、
基本的に禁止されていて、
私は、
母にまったく合っていない状況だった。
その後、
規模の小さい病院に転院して、
そこで、
結局、1年半ちかく入院生活をしていた。
その時も、
面会は出来なかった。
体調を崩したことに加え、
いつ退院できるか分からない入院生活で、
最初の頃は、
「家に帰れないなら、死にたい」
なんてことを口走るほど、
精神的にしんどい時期を過ごした。
さらに、
環境の変化や、
精神的につらい状況のせいで、
認知症の症状も出ていた。
いったい、
この先、
母はどうなってしまうのか。
そんな不安のある時期だった。
その入院生活も終わり、
次は、
昨日までお世話になった介護施設に入所した。
ここで、
ようやく、
母に面会することが出来た。
車いすに乗って、
ずいぶん痩せて、
白髪になった母は、
私に会うと、
「ごめんね」
と泣きながら謝っていた。
迷惑をかけた
という意味だったみたいだけど、
そういう気持ちを持つなんて、
長い入院生活と言うのは、
すごくしんどいんだな
と、
少しだけど、想像することが出来た。
その段階で、
母は、
まだ自力では立ち上がることが出来ず、
このまま、
歩くことは出来なくなるかもしれない
と思っていた。
歩けないとなると、
家に帰ることはむずかしいだろうな
とも思った。
最初の頃は、
月に1回の面会も、
申し訳ないという感じばかりだったのだけれど、
その後のリハビリで、
立ち上がったり、
歩いたり
ということが、
少しずつ出来るようになってくると、
その様子も変わってきた。
「次に来るときは、○○を持ってきて」
「家の様子はどうなの?」
「早く家に帰りたい」
そんな感じで、
以前のような、
しっかりした母に戻っていった。
やはり、
病院とは違って、
ある程度、
自由に過ごせることと、
リハビリの成果が出て来たことで、
気持ちが前向きになれたのかもしれない。
この頃には、
認知症の兆候もまったくなくなって、
話す内容も、
しっかりしたものになっていた。
『病は気から』
まさに、こういうことなんだろうな。
病気や怪我で、
不自由な生活になったとしても、
それでも、
気持ちを奮い立たせて、
前向きに生きていけるかどうか。
それが出来るかどうかで、
その後の生活は、
大きく変わるんだと思った。
もちろん、
前向きになったからと言って、
母は、
今も、歩くのには、まだまだ大きく不安があるし、
体調も、
万全になったわけではない。
ないけれど、
それでも、
母が、
現状を楽しく過ごせていれば、
それは、
回復したと言えるんじゃないかな。
身近な人の死や、
母の入院を経て、
自由に生活できるということが、
けっして、
当たり前ではないんだと思い知った。
私も、
もう少し歳をとったら、
自力で、
歩き回ることが出来なくなるかもしれない。
そうなってから、
あれがしたかった
これがしたかった
と後悔しない様に、
したいことは、
後回しにしない。
そして、
したくないこと、
しなくても良いこと、
それは、
極力 省いていきたいなとも思う。
自分の寿命なんて、
分かりやしない。
いつ終わるのか分からない、
自由で楽しい時間が、
突然、終わってしまうかもしれない。
気が重い時間なんて、
過ごしたくない。
職場で、
正直、
すごく気が重い時間を過ごしている。
逃げ出してしまいたいけど、
でも、
現実的には、
お金を稼がないと、
残りの楽しい時間が過ごせなくなってしまう。
だから、
少しでも早く、
気が重い時間から逃げ出せるように、
工夫しないと。