ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

いじめられる側、攻撃される側に原因など無い

小学生の頃、終わりの会というものが、

毎日、帰る前に行われていた。

6年間のうち、
5年生の1年間、

この時間が、
恐怖で、嫌でたまらなかった。


その会の中で、

1日の良かった事、悪かった事を、

報告する時間があったんだけど、

悪い事を指摘された1人に、
クラスの子たちが次々と正論という名のもとに、
言葉の攻撃を浴びせかけていた。

私も1度、その攻撃のやり玉になったことがある。
当時、通学路ではない道を通って、私は帰っていた。
近道だとか、仲の良い友達と一緒に帰りたいとか、
そういう理由だった。

それを、ある子が、会で報告した。
いつも通り、
クラスの子たちは、
「なぜ通学路を通って帰らないの?」
「決まりを守らないのは悪い事だ」
「二度としないと約束しろ」
みたいな言葉を、次から次へと言ってきた。

きまりを守らなかったのは確かだし、
正当な理由も無い私は、
反論することも、言い訳する事も出来ず、
ずっと黙って、言われ続けていた。
時間にすると、
数分間だったんだと思う。
でも、
私には、何時間にも感じるくらい、
長い時間だった。

この攻撃は、
先生が終わりと言うまで続く。
最後は、
「ごめんなさい。もうしません」
と言う事で終わったと思う。

その経験があったから、
毎日、自分が標的にならない事を祈るようになったし、
そのつらさが分かるから、
他の子に対しても、私は発言することは出来なかった。
1年間、毎日、早く終われと思っていたし、
誰も攻撃されずに終わった時は、
本当に嬉しかった。


ただ、
不思議な事に、
5年生から6年生に進級した途端、
この恐ろしい攻撃の時間は無くなった。
クラス替えは無く、
生徒の面子は同じだったけれど、
担任の先生が変わって、
こういう報告をさせなくなったし、
もし問題が起こっても、
皆で攻撃するのではなく、
「今度から気を付けよう」
とアドバイスするにとどめる
平和的解決方法を取る先生だったからだ。

つまり、
先生がやれと言わなければ、
同じメンバーでも攻撃はしないという事だった。
その時、
子どもながらに思った。
5年生の時の担任の先生は苦手だと。

どうやら、
こういう教育方法をとる先生は他にもいるみたいだけど、
こういう方法って正しいんだろうか。

今だと、
ネットで1人に対して、
皆で誹謗中傷を書き込む感じに似てる。

本当に間違いを正したいのではなく、
ただ誰かを攻撃したいだけではないのだろうか。


いじめ問題と本質的に似てる気がする。

誰かを攻撃したいために、理由をつけている。

私も中学生の頃、
少しの期間だけ無視されたり、言いがかりをつけられた事がある。

その話を知り合いにしたら、
「いじめられたあなたに原因があったんだ」と言われた。

確かに、私は人から好かれるタイプではないから、
私自身にも原因はあったんだとは思う。

でも、
他のいじめに関しては、
ちょっと首を傾げてしまう。

例え、気に入らないところがあって、嫌ったとしても、
大勢で攻撃して良い理由にはならない。

嫌いなところや、問題ある部分を指摘するだけで良いはず。

どんな理由があっても、攻撃や排除をして良い理由にはならないんだ。

その理屈だと、
悪い行いをした人は、
攻撃しても良いって事になる。

そんなの、
法治国家の日本で、認められるわけがないし、
道徳的にも、
けっして許されない事だ。

そういう考え方をして、
ましてや、
言葉にして他人に言った
あの人を、
私は人として怖いと感じる。