ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

苦手だった先生の話

3月31日。
今朝、最寄りの小学校に在籍する皆さんが、
登校していました。
おそらく、
今日は離任式なんではないでしょうか。

私が子どもの頃は、
始業式の前日に離任式をしていましたが、
最近は、
それだと、
学校を異動する先生が大変だということで、
年度末に離任式をするそうです。

小学生の頃は、
担任の先生が、
学校生活の大きな要素でしたよね。
どんな先生に受け持ってもらえるか、
それで、
どんな学校生活になるかが決まると言っても、
過言では無かったと思う。

私は、
5年生の時の担任の先生が、
苦手でした。
当時は、
苦手だと言う事に気づかなかったけれど、
何度か嫌な思いをしたことは、
覚えています。

私が小学生の頃、
『朝の会』と『終わりの会』と言うのが
毎日行われていました。

朝の会は、
その日の予定を確認したり、
歌を歌ったり、
そういう感じだったんじゃないかな。

そして、
すべての授業が終わった後、
行なわれる『終わりの会』。
これが、
とにかく私は苦手だった。

終わりの会では、
1日を振り返って、
良い行いと悪い行いを、
皆で報告しあうという時間があった。

この悪い行いを、
報告しあうというのが、
とにかく地獄の様な時間だった。
もちろん、
1日を振り返って、
反省すると言う趣旨自体は良いと思うんです。
ただ、
他人の悪い行いを、
全員の前で報告するという形だったんです。

これって、
いわゆる『リーク』って奴ですよね。

1番嫌だったのが、
クラスメイトのKさんが、
歯科検診で虫歯が見つかったのに、
なかなか歯医者さんに行かなかったんです。
その事を、
先生がKさんに指摘して、
さらに、
クラスの全員に、
「どうしてKさんは歯医者さんに行かないのか?」
「どうすれば、Kさんは歯医者さんに行くようになるか」
それについて、
皆で意見を出し合おうと言ったんです。

でも、
考えてみてください。
たかだか小学生の子どもですよ。
相手の立場に立った物言いなんでしないですよ。

「どうして歯医者さんに行かないんですか?」
「虫歯があるのに行かないなんておかしいです」
「さっさと行ってください」
なんてことを、
入れ替わり立ち代わり、
全員で1人に向かって言うんです。

大人になった今なら、
KさんやKさんのお家の事情があるのかもしれない
と思って、
相手への言葉を考える余裕があります。

でも、
子どもって、
時にとんでもなく残酷なんですよね。

今どきの、
ネットで、1人の人間に、
誹謗中傷や暴言を、
複数人で書き込み続ける
みたいなノリですよ。

皆から、
長時間にわたって、
あれやこれやと言われ続けるKさんを見ながら、
子どもだった私は、
「私じゃなくて良かった」
と黙って見ている事しか出来なかった。

この光景、
まさに、
いじめの構図ですよね。

私は、
その時、
直接攻撃はしなかったかもしれないけど、
助けずに傍観すると言う攻撃をしていた。

そのツケは、
その後、回って来ました。

私が、
通学路とは違う道を通って、
家に帰っていることに気づいた同級生が、
その事を
終わりの会で報告したんです。

「どうして決められた通学路を通らないんですか」
「きまりを守れないのはなぜですか」
「ごめんなさいと言うべきです」
「通学路を通って帰っているか、見張った方が良い」
他にも、
いろんなことを言われたけど、
とにかく、
「今日から、必ず通学路を通って帰ります」
と約束するまで、
公開処刑は終わらなかった。

こういう目にあったこともあって、
毎日、
終わりの会で、
自分の名前が出ないようにと、
祈るようになりましたね。
公開処刑が行われずに、
終わりの会が終わると、
ほっとしたのを覚えています。

この時の担任の先生は、
なにかとみんな一緒ということを
奨励する人で、
休憩時間も、クラス全員で一緒に過ごすことが、
ルールとして決まっていましたね。

それも、
私は嫌だったなあ。
たまには、
1人で本を読んで過ごしたり、
仲の良い数人の友達とおしゃべりしたり、
そういう過ごし方もしたかったから。

そんなクラスでしたが、
6年生になって、
担任の先生が変わった途端、
休憩時間は、皆それぞれしたいことを
自由に出来るようになったし、
終わりの会は、
次の日の予定を聞くだけの、
あっさりした会に変わりました。

何が良いかは分からないけど、
相性ってあるなあと
思いましたね。

そんなことを、
ふと思い出しました。