私の会社で、
長年 ずっと作られている商品。
長さが1.5mと決まっていて、
ずっと、皆が、その長さで作って来た。
そんな中、
パートさんは、
納品先のウエブサイトで、
商品の仕様を確認してから、
商品を作っていたらしい。
しかも、
長さが1mだと表示されていることを、
数年前から知っていたらしくて、
いったい、どちらが正しいんだと思っていたんだって。
数年間も、
商品の仕様に対して、
疑問を持ち続けながら、
作業を続けていただなんて、
きっと、すべての仕事に対して、
「これも、納品先に伝わっている仕様とは違うんじゃないか」
って不信感を持ってしまうよね。
私は、
現場の人間では無いので、
そんな話を、パートさんから聞くことも出来ず、
まったく知らずに、
商品を作ってくださいとお願いしていた。
きっと、パートさんは、
私がお願いする度に、
「仕様が違うんですよ。
そんなことも知らずに、作れなんて言わないでよ」
って思ってたんじゃないかと思うと、
自分が間抜けすぎて、泣けてくる。
哲学者のソクラテスの言葉で、
『無知は罪なり、
知は空虚なり、
英知を持つもの英雄なり』
っていうのがあるらしい。
まず、
知識が無いのは罪である。
そして、知識を得ても、その知識を使わなければ意味が無い。
知識が有って、行動もすることが素晴らしいんだって意味らしい。
いやあ~。
私は、
以前にも、
「現場のことを知らないから、無責任な発言が平気で出来るんだ」
って言われたことがあるくらい、
職場では、
事務職専門で、
現場の仕事内容に関する知識が無い。
確かに、
分業制とか、
担当制って考え方もある。
でも、
同じ会社で、
他の人がしている仕事を、
全く知らないって言うのは、
やっぱり罪なんだろう。
100%は無理だとしても、
何をしているんだってことくらいは、
知っておかないと、
サポートだって出来やしない。
そして、
知識を得たら、
それを活かすための行動、
私の場合だったら、
効果的なサポートをするってことだよね。
それをしてこそ、
知識を得た意味がある。
「分からないんだから、黙っとけ」
なんて、きつい言葉は言われないけれど、
やっぱり、
『部外者』扱いはされていると思う。
それならそれで良いか。
知識は、自慢するために手に入れるんじゃない。
自分を守るため、
自分が生きやすくなるために手に入れるわけだし、
私が無知だと、周りから思われていたって、
別に平気だ。
実際、私の知識量は微々たるものだし。
目立たず、気づかれないように、
忍者のように、
知らない間に、お宝を手に入れてしまえば良いのだ。
ん?
何か話がおかしくなってきてるけど、
職場で、
自分が立ち回りやすくなるために、
やっぱり知識や経験は、
苦労してでも、手に入れたい。
それが、
結局は、自分を楽にしてくれるんだから。
さて、
週明けからは、
陰からこそこそと偵察してやるか。