ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

他人を傷つける理由など、理解する必要は無い

大学入学共通テストの会場で、
高校2年生の男性が、
受験生を3人も刺したらしい。

この間、クリニックで放火して、
たくさんの人を殺した男性もいた。

人の数だけ、考えや気持ちがあって、
それは自由だと思う。
でも、
それを他人に押し付ける、
ましてや、命を奪うなんてことは、
どんな理由があっても、
許してはいけないと思う。

人間と言うのは、
どうして、こんなに簡単に、
自分以外の生き物を傷つけられるのか。

私は、今まで生きてきて、
他人を傷つけたいという気持ちを持ったことが無いので、
その気持ちを理解することが出来ない。

でも、
私にも、こういう気持ちがあるのかもしれない。
それが怖くてたまらない。

私も、
もしかしたら、この先、
他人を傷つけるような日が来るのかもしれない。

そういう要素が無いとは言えない。
腹が立てば、
つい 意地の悪い言い方をしたり、
きつい言い方をしてしまうことがある。

身体は傷つけてはいないけれど、
心は傷つけている。
根本は同じだ。
ただ、
今回の高校生や、クリニックを襲った犯人は、
直接関係ない人に対して、
攻撃した。

それが理解出来ない。
どうしても、脳が処理できない。

以前、
森博嗣さんの『黒猫の三角』という小説で、
人を殺す理由について話すシーンがある。
このシーンが、すごく衝撃的だったことを思い出した。

主人公の紅子は、次の様に言う。
「遊びで殺すのが一番健全だぞ」
「理由さえしっかりしていれば、殺人を犯しても良いのか?」
「殺人者の心境が想像の範囲内であることの方が不健全ではないか。
それでは、自分もいつか人を殺したくなるかもしれない、と思って落ち着けるというのか? 
それよりは、遊びで殺した、全然理解できない、で済ませる方が私は安心だ。」

人を殺した理由が分かれば、心情的に理解出来るという相手に対して、
こう返すのだ。

いろんな事件が報道されて、
人々は、その事件が起きた理由を知りたがる。
でも、
知ったら、何かが解決するのだろうか。

こういう考え方は、
すごく不謹慎なのかもしれない。
でも、
傷つけられた人に、
傷つけられる理由など、何もなかった方が、
傷つけられた人が、それ以上傷つくことが無いのかもしれない。

もちろん、
理由もなく、傷つけられることは、
とても理不尽で、納得できない事だ。
でも、
傷つけられた方にも非があったなんて言われるよりは、
よっぽど良い。
傷つけられた人には、
「あなたには、傷つけられる理由など何も無い。
 あなたには、何も恥じるべき事は無い」
そういう風に、世間は言うべきなんだ。

犯人の理屈は意味不明で、
誰も理解も共感も出来ないと言う方が、
犯人に対して、厳しい対応なのかもしれない。
だって、
理由が分かったところで、再犯防止にはならないから。

いじめ問題でも思うけれど、
傷つける人間には、
本当は理由なんて無いのかもしれない。

退屈だ
虫の居所が悪い
体調が悪い
そんな理由で、
その鬱憤を晴らすために、
人間をサンドバッグの様に使っているだけだ。

でも、
そんな風に言うと、
自分が知的レベルが低く、残虐な生き物だとばれるから、
相手に無理やり理由を付けているだけなんだ。

他人を傷つける人間に、
理由など聞いてやる必要は無いんだ。
何も聞かずに罰するのが一番の極刑なのかもしれない。

他人を傷つけて良い理由など、
この世の中には無いのだ。
もちろん正当防衛は別ですけど。