ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

死刑になりたい子ども

渋谷で、
中学生の子が、
2人を刺したという事件があった。

昨夜、ニュースで見た時には、
知り合いで、
何かトラブルがあったのかと思ったけれど、
その後の報道で、
面識が無かったと聞いて、
驚いたし、無差別に刺したのかと怖くなった。
その時は、
「死刑になりたいので、人を刺した」
と言っていると聞いて、
そういう心理があるのだと思った。

「死にたい」
のではなく、
「死刑になりたい」。

詳しい事は分からないけれど、
この2つは、
「死ぬ」という事に向かっているんだけど、
違う心理らしい。

去年、
京王線の車内で、
刃物で17人に切りつけた犯人も、
「死刑にされたかった」
と話したと言う。

無差別に攻撃をする人には、
自分の犯罪を隠そうと言う気持ちは無く、
捕まって、死なせて欲しい
という気持ちがあるのかもしれない。

自分を殺して欲しくて、
自分とは何の関係も無い人を殺そうとする。

正反対に思えるけれど、
犯行を行なう人にとっては、
つながった考えなんだろう。

そして、
今日になって、
本当は自分の母親を殺したかったけれど、
怖くなったので、
練習のつもりで、
見ず知らずの親子を刺したと知った。

母親を殺したことを知ると悲しむから、
弟も殺そうとも思っていたともいう。

自分に関係のある人、
お母さんという、とても近い人だから、
彼女にとって、
攻撃することは、
自殺することと同じくらい怖いことだったのだろうか。

死にたい。
でも、自ら死ぬのは怖い。
だから死刑になりたい。

その手段として、
自分とは無関係な人たちを傷つけて、
罰として殺してもらう。

殺意と言うのは、
どういう時に生まれるのか。
私には、まだ分からない。
でも、
彼女は、
母親に対して殺意を持った。

でも、
渋谷で刺した親子に対しては、
殺意は無かったのかもしれない。

彼女にとって、
それは、練習台で、
死ぬための手段だった。

生きると言う事は、
楽しい事ばかりではない。
嫌な事や悲しい事も多い。
そして、
そういう事の方が、
心に与える力が大きい。

重くて、苦しくて、
どこにも進めない気がして、
絶望することもある。

でも、
おばちゃんになって思うけど、
そういう時、
逃げられる世の中になってくれると良いな。

特に、
子ども時代は、
なかなか自力で逃げられない。

学校に行かずに、大人になることは
とても不安だし、
家を出て、生活していくことは不可能。

だから、
子どもが、
絶望した時、
逃げ込める場所が、
世界のあちこちにあると、
もっともっと子どもな死なずに済むんじゃないかな。

それくらい、
子どもって、逃げ場がないつらい時代だと思う。

おばちゃんになればね、
ぜいたくしなければ、
1人でどこにでも行けるからね。

だから、
世界中の子どもたちが、
自力で生きていける大人になれるよう
祈っています。