私の会社の社員さん、
なにかと作業に時間が掛かったり、
ミスをすることが多いらしい。
勤務年数も15年を超え、
けっして『新人さん』という訳ではない。
いや、
場所によっては、
『ベテラン』と呼ばれる年数だろう。
でも、
どうも、『ベテラン』級の仕事ぶりではないらしい。
なにかにつけて、
その事が問題になるみたいなんだけど、
今日も、
組み立てていた装置が、
なかなか上手く動作せず、
悪戦苦闘していたらしい。
しまいには、
「もう1回、最初からマニュアルを読んでみたら」
なんて言われていたらしい。
その様子に、
社長は、
「いったい何をしてるんだ。
いつになったら出来るんだ。
マニュアルを読み直すって言ったって、
いつまで掛かってるんだ。」
と、文句たらたら。
そして、
とうとう
「あいつにはセンスが無いんだ」
と言い放った。
出た。
センス無い問題。
私も、
以前、
社長から、
「センスが無いから、
仕事を頼みたくない」
って言われたから、
けっして他人事ではない。
センスって、
生まれ持った才能の様なモノだって思ってませんか。
だから、
私みたいに、
自他共に認める『センスが無い』人間は、
諦めちゃってるんですよね。
センスってモノを。
でも、
諦めなくても良いんです。
センスは、
生まれ持ったものでも、
選ばれた人間だけのモノでも無い。
昨日に引き続き
フェルミ漫画大学より
「センスは知識からはじまる」
センスは知識からはじまる [ 水野学 ]
センスは、
その場にもっとも適したモノを用意する能力らしい。
洋服のセンスが良い人と言うのは、
決して、
デザイナーみたいに、
奇抜な洋服を作り出す人ではなく、
自分の顔やスタイル、
季節や場所
そう言うモノにもっとも合った洋服を選んで、
着る人なんだ。
美的センスが良くなりたければ、
色相環や建築などを勉強して、
心地の良い状態を作れば良い。
つまり、
センスの良し悪しは、
感覚やひらめきだけでなく、
知識や経験の蓄積で、
いくらでも向上できるんだと言う事。
その事を知ったので、
試しに、
社長に
「センスって生まれ持ったものなんでしょうか」
と聞いてみたら、
「そうだよ。
どれだけ努力したって、
センスのない人間は、何も出来ないだろ。
あなたはセンス有ると思ってるの」
と言われたので、
「私はセンス無いですね」
って答えたら、
「そうだよ。
あなたはセンスゼロだよ。
センス無いのを、
努力でカバーできるとでも思ってるの。
無理でしょ。
センスのない人間や、
努力したって、ダメなんだよ」
って言ってました。
ああ、
きっと、ご自分はセンスの塊だという
自信があるんだろうな。
もちろん、
世界一とか、
唯一無二とかいうレベルだと、
努力では補いきれない、
DNAレベルの才能が必要なのかもしれない。
でも、
自分に似合う洋服を選ぶとか、
自分の部屋のインテリアを選ぶとか、
そういう話なら、
知識で補ったセンスでも、
その場に合った、
心地よいモノが選べるのかもしれないな。
モノの良し悪しとか、
好き嫌いって、
最終的には、
人それぞれだからね。
センスの評価だって、
見る人が変われば、
まったく逆の評価だったりすることもあるし。
センスは、
数値化出来ないから、
どうしても評価があやふやで、
『センス無い』ハラスメントが起きてしまうんだろうな。
センス以前に、
感覚が違う人だと、
気にしない事が一番なのかもしれません。