ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

ペーパーレスの時代でも年賀状を送りたい

12月に入って、
今年も年賀状のために、本を購入。

おしゃれな大人のなでしこ年賀状2023 (インプレス年賀状ムック) [ インプレス年賀状編集部 ]

最近は、
ほとんど、こういう本のかわいいデザインを
そのまま使って、
年賀状を作ってます。

本当はね、
「昨年はありがとうございました
 今年もよろしくお願いします。」
という気持ちを、
自分の力で表現するべきだと思うんですが、
私の絵心では、
「えっ? この謎の絵はいったい?」
と思われかねないので、
完全他力本願を貫いています。

ただ、
お伝えしたい一言だけは、
手書きで書くようにしています。

以前は、
字もあまり上手では無いので、
それも印刷していたんですが、
せっかく送るのに、
何もかも他力と言うのも寂しいなと
手書きで書いています。

私は、
ほぼ引きこもりで、
働くためと、
生命維持の為以外には、
ここ数年 外出していないので、
年賀状でのご挨拶だけが、
外部との交流手段となってます。

最近は、
資源保護やゴミ問題の影響からか、
年賀状での年始の挨拶を省略する企業さんも
増えてきていますよね。

私も、
メールや無料通話アプリなどで
連絡した方が、
相手にとっても良いかなと、
数年前から思って、
連絡先を教えてもらっているんだけど、
それでも、
年賀状は辞められずにいます。

郵便って、
年賀状くらいしか送る機会が無いでしょ。
で、
年賀状が届くと言う事は、
その場所に、
間違いなく、相手が住んでいると言う事。
そして、
同時に、
「私は、ここで元気に暮らしています」
という報告が出来ると言う事。

ここ最近、
思いもよらなかった事件や事故、災害が起きています。
自分の未来が、
いったいどうなってしまうのか。
今日と同じような1日が、
明日も過ごせる保証など、
どこにも無いんだと、
思い知らされることばかりです。

そんな時、
大切な人たちと、
いつまでつながっていられるのか。
特に、
私の様に、
実際に会いに行くことに消極的な人間だと、
つながりも薄くなってしまうんですよね。

実際、
年賀状を送っても、
『宛先不明』で返って来た人も、
何人もいます。

でも、
仕方ないと思うんです。
私が交流をしてこなかったんだから。

やっぱり、
実際に顔を合わせたり、
声を聴いたり、
そういう付き合いが無くなってしまうと、
縁は無くなってしまうのです。

当然ですよね。
人と言うのは、
限られた時間の中で、
交流できる人間の数は限られているんだから。

縁は無くなってしまったけれど、
その人と出会って、
親しく過ごせた時間は、
過去の私の人生にある。
そう思えば、寂しさも和らぎます。

ともだちという関係って、
時間の経過とともに、
無くなってしまうものだという考え方もあるそうです。

学生時代の友達は、
進学したり、
就職したり、
そういう環境の変化で、
一緒に過ごす時間が取れなくなったり、
共通の話題が無くなったり、
そういう事で、疎遠になってしまう事もあるそうです。

また、
働きだしたり、
子どもを授かったりすると、
自分以外の人との時間を作ることが、
出来なくなることもあります。

実際、
私の学生時代の友達は、
結婚し、3人の子どもさんを授かり、
とても忙しい日々を過ごしています。
学生時代の様に、
理由もなく、
一緒に時間を過ごすことなど出来なくなったけれど、
それでも、
彼女と知り合って、
仲良くなって、
楽しい時間を過ごしたことは事実です。
だから、
会える機会が無くなってしまっても、
それでもつながっていたいなと思える人なのは
変わらない。

友達だったら、
頻繁に会わないといけない。
連絡だって、途絶えさせてはいけない。
そんな風に思っていた時期は、
人付き合いが苦手な私には、
友達なんて出来ない。
そう思っていました。

でも、
そうではないのかもしれない。
相手がどう思っているかは、
この際、どうでも良い。
私が、
相手の事を友達だと思っていれば、
それで良いんだ。

大切な人たちが、
元気で幸せでいてくれれば、
それで良いじゃないか。

一緒に過ごせるような機会が出来たら、
その時、
楽しく過ごせるよう、
私も元気で幸せな毎日を過ごしていよう。

そんな気持ちで、
毎年 年賀状を送っています。