ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

ミサイルが発射された

今夜も、
カエルたちの大合唱が響き渡ってます。

私にとって、
この時期のカエルの声は、
聞きなれてしまって、
生活音の一部なので、
何とも思わないし、
逆に、
なんだかとっても平和な音の気がして、
ホッとする。

ニュースで知ったけれど、
ミサイルが日本に向けて、
2発も発射されたらしい。

どうして、
人間は、平和に生きることが出来ないんだろう。

もちろん、
他の動物だって、
争うことはあるだろう。

でも、
人間の様に、
愚かな争いはしないような気がする。

争いの理由は、
色々あるんだろうし、
争っている人たちには、
きっと言い分や、大義名分があるんだろう。

あるんだろうけど、
それでも、
やっぱり私は、
人間の争いごとには、
賛同出来ない。

どんな理由があるにせよ、
命を奪うことを許すことが出来ない。

排除したり、傷つけたり、
命を奪ったり、
そういう事をせずに、
お互いの考えや権利を主張することは、
本当に出来ないんだろうか。

戦争を体験した人の話を、
テレビなどで耳にすることがあるけれど、
悲しい思いをした人が、
圧倒的に多い気がする。

ごくまれに、
当時、軍部に所属していた人の中に、
自分が行った戦争は正しい
と言う人もいる。

アメリカでは、
広島と長崎に、
原子爆弾を投下してことを、
正しい事だったと言われている。

もちろん、
当時の日本は、
戦争をして、
アジアの多くの国を占領し、
多くの人を傷つけ、
命を奪っていた。

原爆を投下されたことで、
戦争が終わったのは事実だし、
あの出来事が無ければ、
戦争は、
もっと長く続いて、
人の命が奪われたかもしれない。

それでも、
原爆投下で、
どれだけ多くの人が命を奪われ、
どれだけ多くの人が傷つき、苦しんだか。

それを知ってもなお、
「戦争は正しかった」
「原爆投下の判断は正しかった」
と、
私は思う事が出来ない。

戦争をしていた当時の日本の政策は、
世界で裁かれても仕方のない事だったと思う。

そのことは、
決して忘れてはいけないし、
戦争を経験したからこそ、
平和な国で居続けるべきだ。

食物連鎖上の理由以外では、
どんな理由があっても、
命を奪ったり、傷つける行為は、
愚かだと私は思っている。

何のために、知能があるんだ。
何のために、言葉を話せるんだ。
何のために、感情があるんだ。

世界のどこかで、
戦争が起きていると言う事実。
そして、
そのせいで、
多くの命が奪われていると言う事実。

切なくて、
それ以上に空しくなる。

もうやめようよ。