ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

世界では戦争が起きている

日本は今日も平和だけど、
他の国では、
ミサイルが撃ち込まれ、
建物が破壊され、
たくさんの人が被害を受けている。

これは、
あくまでも、
私の個人的な考えだけど、
どうして、
人間と言う生き物は、
友好的に他人と過ごすことが出来ないんだろう。

やはり、
欲が深いからなのか。
それとも、
本能的に、
他人を攻撃するようなDNAが組み込まれているのだろうか。

戦争と言うのは、
当然、
二つ以上の立場があって、
それぞれに、
言い分があるんだろうけど、
それにしたって、
怪我をしたり、
死んでしまったり、
そんな思いをしてまで、
手に入れなければならないモノが、
今の世の中にあるんだろうか。

領土とか、
資源とか、
人種とか民族とか、
大切に思うモノを奪われたくない
という気持ちは理解出来る。

でも、
奪ってやろうと言う気持ちは、
分かりたくないな。

嫉妬とか妬みとか、
そういう感情は、
私にもある。
人の幸せを、
素直に喜べないと言う気持ちも、
少なからずある。

あるけれど、
それでも、
仕方ないと思うモノでしょ。
奪ってやろうとか、
壊してやろうとか、
そういう事を思ったとしても、
実行しないし、
万が一、実行したとしても、
だからといって、
自分がその恩恵にあずかれるとは思えないし、
そんな経緯で得たモノで、
果たして満たされるものなんだろうか。

もちろん、
国家や民族間の戦争は、
そんな個人的な感情では無く、
外交の一部として、
国の威信をかけて、
国を存続させるために行われている
という場合もあるだろう。

あるだろうけど、
それでも、
人を傷つけて良い理由にはならないと思う。

『多少の犠牲は仕方ない』
なんて、
反吐が出るようなセリフを、
トップの人たちは言うのかもしれない。

冗談じゃないよね。
だって、
自分の命が、
『多少の犠牲』って呼ばれたらどうする?
「ああ、そうですか」
って納得できないでしょ。
いや、
私は出来ないね。

パレスチナガザ地区も、
私と同じような立場の
いわゆる『市民』が傷ついている。

いつ、
ミサイルが落ちてくるか分からない病院で、
小さい子どもたちが、
人工呼吸器をつけて、
治療を受けている映像を、
ニュースで見た。

あの映像を見て、
それでも、
戦争を続けなければいけない
と思うのなら、
人間は、
きっと平和な世の中を築くことは無理だろうな。

日本も、
数十年前には、
こんな風に、
戦争をしていた。
他の国の人たちを傷つけ、
平和な生活を奪っていた。

そして、
自分たちも、
攻撃され、
逃げ回り、
傷ついた。

いつまで、
こんな事を繰り返すんだろう。

傷ついて、
悲しい思いをして、
戦争が、
いかに愚かな行為かと言う事を、
思い知ったはずなのに。

戦争が起こるたびに、
自分が人間でいる事が、
本当に嫌になる。