今日は、
広島で平和式典が行われる日ですね。
毎年、
たくさんの人が、
原爆が落とされた広島に行き、
平和な毎日を続けていくことを宣言するのに、
今でも、
世界中で戦争が起きている。
日本も、
たった数十年前まで、
戦争をしていて、
多くの人が、その犠牲になった。
戦うために、出兵した人。
家族が死ぬかもしれない戦地に行くのを見送った人。
敵国を攻撃することが正しい事だと信じて人の命を奪った人。
そして、
攻撃されて命を奪われた人。
考えても、
考えても、
戦争が必要だったとは思えない。
人の命を奪わなければ、
出来ないことなんて、
本当にあるんだろうか。
当時の日本は、
不景気で、
不景気を解決するために、
資源が豊富だった中国を攻撃して、
自分のモノにしようとした。
自国の為、
そんな理由を言ったところで、
とても身勝手な、
恥ずべき行為だと、
日本人であるがゆえに思います。
人間は、
他の動物と違って、
食物連鎖の一部としての殺生ではなく、
自分の利益を得るためや、
主義主張を通したいという思いだけで、
他人を傷つける。
それは、
おもちゃを手に入れたくて、
相手を殴る子どもと一緒だ。
でも、
大人になれば気づく。
相手を傷つけて、
奪って手に入れたものは、
同じように、
奪われてしまうのだということを。
「長引く戦争を終わらせるため、
原爆投下は正しかった」
そう話すアメリカ軍関係者は多い。
たしかに、
二度の原爆投下が無ければ、
戦争は、もっと長く続いていたかもしれない。
けれど、
戦争を終わらせるためとは言え、
多くの人が犠牲になった。
喧嘩を止めるために、
喧嘩している人間を殺した。
そう言われているように感じてしまうのは、
私だけだろうか。
原爆という、
恐ろしい兵器を、
この世から無くすことは、
ずっと多くの人たちの願いなのに、
いまだに成しえていない。
そして、
地球上が、
戦争のない、平和な世の中になって欲しいと、
多くの人たちが願い、
いや、
戦争のない、平和な世の中にならなければ
いけないと、
本当は思っているはずだ。
何かを手に入れるために、
攻撃して、傷つけなければいけないなんて、
そこまでしなければ、
手に入らないモノなんて、
もしかすると、
手に入れるべきものではないのではないだろうか。
命を終えるという事と、
命を奪われるという事は、
結果は同じでも、
まったく意味が違う。
どうして、
平和に暮らすことが、
人間は出来ないんだろう。
この世の中で、
こんなに愚かな生物は、
他にいない。
そんな生物の1人でいることが、
恥ずかしく、申し訳ない。