ぼっちおばちゃん あきさんの日記

ぼっちだけど楽しく生きてます。 いろいろあるから面白い。  読書・ゲーム・お金 楽しもう人生。

クラクションを鳴らす理由

道に面した出入り口から出てこようとしている車に対して、
ラクションを鳴らしている軽自動車。

「危ないよ」
なのか
「危ねえぞ」
なのか、
はたまた、
「私が近づいているの、気づいてる?」
なのか。

それは、
鳴らしている本人しか分からないけれど、
三者の私には、
「通るんだからどけろ」
って聞こえた。

ところで、
ラクションって、
鳴らす時の決まりごとがあるんだよね。
調べてみたら、
1. 左右の見とおしのきかない交差点
2. 見とおしのきかない上り坂の頂上で「警笛鳴らせ」の標識がある場所
3. 山間部や曲がりくねった道路の「警笛鳴らせ」の標識がある区間内で、
左右の見とおしのきかない交差点
4. 見とおしのきかない曲がり角、上り坂の頂上を通過するとき
などの、クラクションを鳴らす必要がある時のみ。

ただ、危険を防止するためやむを得ないときは
例外らしいけれど、
私が見た光景は、
はたして、やむを得ないとまでの状況だったのだろうか。

出入り口から出て来ていた車は、
ゆっくりゆっくり進んでいたし、
出くわした軽自動車も、
相手が、
もう道の方に出て来ているんだから、
すこし待ってあげれば、
ラクションなんて鳴らさずに済んだんじゃないかな。

そういう風に思ったからこそ、
危険回避と言うより、
「邪魔だからどけろ」って言ってるように聞こえたんだろうなあ。

見かけたのが、
お昼の12時過ぎだったんだけど、
軽自動車の運転手さんは、
急いでいたのかな。

でもさあ、
世の中、
おたがいさまばかり。
私が、私が
って、
皆が言ってたら、
あちこちでいざこざが起きてしまう。

急いでいるなら、
どうして、
もう少し、早く出発しなかった。

出発の時間が変えられなかったのなら、
どうして、
もっと余裕のあるスケジュールにしなかった。

時間に余裕さえあれば、
ラクションなんて鳴らさなかったんじゃないかなあ。

自分の思い通りにいかなかった時、
それを、
周りにいる人のせいだと思ってしまう事がある。

でも、
本当は、
そんなことは無いんだと思う。

だって、
『自分の思い通り』
って、
それって、
自分が勝手に計画したことでしょ。

それが上手く行かなかったのは、
自分の計画が、
『無計画』だったからで、
誰かのせいではないんだよ。

おばちゃんになって、
そういう事に、
ようやく気付くことが出来た。

以前、
芦田愛菜さんが、
「その人自身を信じているのではなく、
自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっていること。
裏切られたというけれど、
その人が裏切ったというわけではなく、
その人の見えなかった部分が見えただけ。」
と言っているのを聞いて、
本当に衝撃を受けた。

そうなんだ。
喜ぶのも悲しむのも、
そして怒るのも、
全部、
自分自身の感情で、
全部、自分自身の責任なんだ。

負の感情を、
誰かのせいにして、
不満をぶつけるのは、
筋違いなんだ。

そういう風に思えるようになったら、
周りの人に対して、
腹が立たなくなった

よく考えたら、
周りの人に対して、
腹を立てたり、
イライラしたり、
そんなことをしている時間が有ったら、
美味しいモノでも食べた方が、
よっぽど有意義だ。

限り有る時間なんだから、
出来るだけ、
楽しく過ごさないと、
もったいない。

ラクション鳴らす暇あったら、
窓から、景色でも見よう。
その方が、
きっと楽しい。