新年度が始まって、
入学や進級など、
新しい学校での生活をしている学生さんも多いだろう。
そんななか、
大阪の私立高校の部活動で、
監督とコーチが、
生徒を丸刈りにした
というニュースを見た。
監督は40代、
コーチは20代。
そんな若い人が、
まだ、
こんなことをしているんだと、
怒りと言うより、
驚きと恐怖を感じた。
部活動内で、
失敗をしたというのが理由らしいけれど、
指導ではなく、
罰を与えるという形でしか、
対応できない大人という、
典型的な例だなあと思う。
このニュースを見て、
思ったんだけど、
『叱ると怒るは違う』
と言う言葉を、
どこかで見聞きした気がする。
本当に、
その通りだと思う。
他人を教育したり、
育成するというのは、
とても難しいと、
私も思う。
まず、
相手のことを理解しなければいけないし、
理解したうえで、
どういう指導をすれば、
相手が成長するか、
どういう声掛けをすれば、
相手の意識を高めることが出来るか。
難しいよね。
でも、
失敗したから、
すぐ罰則。
これはねえ~、
今どきは
なんて言葉では済まされないと思う。
確かに、
私が子どもの頃は、
学校の先生でも、
叱るではなく、
怒っている人もいたような気がするし、
『体罰』なんてものも、
黙認されていたかもしれない。
これは、
私の個人的な考えだけど、
昔も、
黙認されていただけで、
許していない人もいたはず。
同じように、
『しつけ』と『虐待』の違いが分からない親も、
最近は問題になってますよね。
もちろん、
相手が幼い子どもだったとしても、
危険な事や、
周りに迷惑をかける事に対しては、
厳しく教えないといけないとは思う。
それ以外にも、
家庭ごとの決まり事とか
約束などを、
教えたりもしなくてはいけないかもしれない。
でも、
大人の思う通りにならないからといって、
暴力をふるうなんてことは、
絶対に許してはいけないと思う。
私は、
自分より、
体格や立場が弱い相手に対して、
攻撃するという事に対して、
罪悪感を感じないことが、
いまだに理解できない。
ましてや、
幼い子供が、
命を奪われるまで、
暴力をふるい続けるなんて、
いったい、
どういう精神構造なんだろう。
変なたとえだけど、
『葬送のフリーレン』という漫画で、
魔族には『罪悪感』が無い
という描写があるんだけど、
人間にも『罪悪感』が無い個体がいるのかもしれない。
私だって、
他人に意地悪をしてしまったり、
傷つける言動をしてしまうけれど、
それでも、
暴力をふるっても、
平気ではいられない。
つい感情にまかせて、
失礼な言動をしてしまっても、
その後、
すごく罪悪感に打ちのめされる。
だから、
相手を思って
ではなく、
自分が不快な気分になりたくないから、
他人に暴力的な言動はしたくない。
それにしても、
びっくりしたんだけど、
丸刈りにした監督たちは、
日常的に暴言や暴力があったということ。
きっと、
魔族なんだと思います。